抽象画の魅力は「勢い」
「抽象画は分からない」という人は多いと思います。
抽象画は、「何かを描くための絵具」から、隷属していた「色」と「形」を解放した表現です。
「色」自体、「形」自体を楽しむための表現と言っても良いでしょう。
抽象画は本来、あまり深く考えず、「いい色だなあ」、「いい形だなあ」で鑑賞すれば良いものなのです。
その抽象画の一つの見方として、筆さばきの「勢い」に注目してみてください。
勢いのある筆跡がそのまま残されていることに気づくでしょう。
それは、その作家がその時にしか出せない筆跡です。
ゆえにコピー不能な希少性があるのです。
一回しか出せない形の魅力、つまり「一回性」を抽象画は重視しています。
絵具を水や溶き油でにじませた、「にじみ」の表現。
筆跡を残すように描かれた「かすれ」の表現。
または、筆すら使わないジャクソン・ポロックが行なったような「ドリッピング」で描かれた「垂らし」、「流し」。
これらは一回しか出せない、形の希少性によって成り立っています。
「その瞬間」が閉じ込められている作品だということです。
このように「一回性」に注目して抽象画を見てみると、急にその絵が貴重で愛おしいものに感じられてくるのではないでしょうか。
これは、二度とない瞬間を体験したい、手に入れたいと願う、人間の心理に基づいた作品だと言えるでしょう。
正確さよりも勢いを重視する
描画において、「正確さ」を追い求めていくと、画面に「勢い」は無くなっていきます。
このようなスピード感の無い絵は、何か息苦しさを感じてしまうものです。
少し形や明暗は違っていても、「勢い」のある絵の方が魅力的に見えることがあります。
私はそれを肌で感じたのは、国展で大友(菱沼)良江さんの絵を見た時です。
私が国展に出品を始めた時、菱沼良江さんは、最高賞の国画賞の受賞していました。
当時の私の作品はというと、様々な技法に興味を持ち始めた時でした。研究を重ね、マチエール(絵肌)にこだわった作品を、私の技術力でしか描けない作品として自信を持って描いていました。
しかし国展で良江さんの作品を見た直後、私の絵をあらためて見ると全く動きや生命感を感じない、止まった絵だと感じ、ショックを受けたことを覚えています。
良江さんの作品は、紙パレットの上で絵具を混ぜたかと思うと、筆ではなくそのパレットごと画面に勢いよくなすりつけたりして大胆に描いていました。
人物も極端に形を変形させたデフォルメ表現で、直感的に勢いよく、感じた印象を描写したものでした。
さらにその人物像は、描いたキャンバスを平置きにし、バケツに入れた石膏入りペンキで幅広く帯状に垂らされ、壊されていきます。
とてもかなわない生命力に満ちあふれた作品でした。
このように「計画派」の作品を、「ぶっつけ本番派」はあっさりと抜き、圧倒します。
その時、始めて「筆さばき」と「絵の生命感」の関係を意識するようになりました。
呼吸するように描く
「呼吸するように描く」。
この言葉は大学図書館で見つけた、木原正徳先生の書物に書かれていた言葉です。
マチエール(絵肌)作りにこだわり、技法のための表現になり、本来自由であるはずの絵が不自由となり、息苦しくなっていた私の心にこの言葉はスッと入ってきました。
ドローイングは、もともとは直感的に印象を留どめるために、スピード感ある線で描く方法です。
木原正徳先生は、油彩で描く際にも、このドローイング的要素を入れた描き方をしてきた作家です。
筆の息づかいを感じる画面は、生命感にあふれ、生きていることと描くことが同調しているように感じられました。
職人的作業になっていた息苦しい絵から、自由な生命感あふれる表現へと解放させてくれたような、いい言葉だなと、今でも感じています。
ちょうど、同じ時期に小林裕児氏は、ハッチング描画法でテンペラの伝統技法で描いていたのを捨て、ドローイング風の逆さの人物の絵で安井賞(絵画界の芥川賞)を受賞されていました。
大竹伸朗氏も話題になり始めた時期で、ダンボールや包装紙の裏側に、コラージュとともに落書きのようなドローイングを描いた画集を発表していて、その量と自由な表現に圧倒されました。
走るような塗りや線から感じる生命感が、私の心を解放していってくれたような時期でした。
画家のストロークに注目する
思えば、著名な画家は皆、独自の筆さばきで描いてきました。
ゴッホタッチ、モネタッチ。
それぞれの画家がそれそれ個性的なストローク(筆さばき)で描いています。
イラストレーターや漫画家もまた、それぞれの作家が個性的なストロークを持っています。
あなたの好きな作家はいったいどんなストロークで線を描いたり、塗りを行なっていますか?
きっと独特なタッチで、ストロークで、描いていているはずです。
ひょっとするとその独特のストロークの勢いに惹かれているのかもしれません。
もう一度、筆のストロークに着目してみると、どんな絵に自分が惹かれているのか見えてくるのかもしれません。
筆を走らせること
例えば、髪の毛を描く時、スピードが遅いと魅力的な髪の毛にはなりません。
つややかで生き生きとした髪の毛を描く時、
髪の生え際から穂先まで、勢いよく筆を止めずに走らせることが重要です。
体を描く時も同じです。始点から終点まで筆を走らせることで、生き生きとした人物像になってゆくのです。
同じように、木々の枝や葉を描く時、
動物の毛並みを描く時、など
筆が走っていないと、魅力的に見えない場合があります。
「割筆」と「乾筆法」
私は良く使うのは、「割筆(わりふで)」という技法です。
もともとは水墨画の技法で、動物の絵を得意としていた日本画家 木島櫻谷が、毛並みを描く時に多用していたことから広まりました。
「割筆」では、筆がわざとバサバサになるように絵具をつけ、勢いよく動物の毛などを描いていきます。
スピードをつけて描くことで、生き生きとした動物の毛並みを描くことに成功しています。
私は、「割筆」という言葉より、筆をバサバサに乾いたような状態で使うので、独自の造語「乾筆法(かんひつほう)」という言葉を使っています。
いずれにせよ勢いよく乾筆を動かすことで、様々な質感を表現していくことができます。
スピード感のある筆づかいだからこそ可能な技法の一つです。